佐竹義宣DAPPE 戦国フッションインタビュー
DAPPE ポスター
序
姉妹サイトの戦国デイズに書かれたDAPPEブランドをカタチにして、以下にまとめました。その当時デイズに、当企画を掲載する適当なスペースがない事情等で例外的にココ戦国未満内にあります。汗
あいさつ
石田三成
こんにちは、石田三成です。何故私がインタビューしなきゃいけないのかよくわかりませんが、検地に割く時間を犠牲にして佐竹義宣にお話を伺います。
佐竹義宣
こんにちは。常陸国(茨城県)の武将、佐竹義宣だっぺ。直江兼続殿の愛の兜とか、小西行長殿の風変りな家紋だとか、オシャレは武将のたしなみだと思います。
そこで大名でなくても気軽に楽しめるブランドをこの度、立ち上げたっぺ。それが茨城発・DAPPE(だっぺ)ブランド。よろしくね。
本題
三成:早速、佐竹に佐竹作ブランドについて、お話を聞いていきます。読んでくださるあなた殿、佐竹、宜しくお願いします。
佐竹:宜しくお願いします。
三成:DAPPEブランドのモデルは、公募だったとのこと。オーディションを受けに来た人に対して、佐竹自ら厳しい審査をしたわけ?
佐竹:いや、三人しか応募がなかったから、オーディションも何もないよ。
三成:三人?!じゃあ、信玄殿と久秀殿と政宗殿、応募した時点で全員合格だったんだ。
佐竹:いや、ひとり落して、ひとりはモデルになってくれるように頼みこんだ。
三成:え、どういうこと?
佐竹:応募してきたのは、信玄殿と政宗殿とカニちゃん(可児才蔵)。けれどカニちゃんは既にスーパーカリスマモデル武将じゃない?めちゃくちゃギャラ高くてびっくりした。そんなわけで断った。
三成:じゃあ、佐竹が自らスカウトしに行ったのは、応募してない松永久秀殿ってことだよね。佐竹のタイプなわけ?
佐竹:いや全然。でもあの人は実に茨城県民ぽい。松永殿なしじゃ、DAPPEは考えられないと思った。
三成:茨城ぽいって何?!
佐竹:昨今のヒット映画「下妻物語」は茨城が舞台なんだけど、茨城には映画に出てきたような、昔懐かしのヤンキーが生息しているんだ。そういうヤンキーを彷彿させてくれるのが松永殿。あの人は奈良県民とは思えない。出身であるべき地域を間違えたと思う。
三成:言っている意味がわからないんだけど。で、松永殿はDAPPEのモデルになることを承諾してくれたの?
佐竹:うん、俺がさ、今までにない、新しい安土桃山文化を作りたいって、松永殿に会いに奈良まで行ったの。そしたら織田信長には、文化面でも常に先を走りたいだなんだ松永殿が言い始めて、あっさりDAPPEのモデルになってくれたよ。
三成:へえー。で、今更なんだけどさ、政宗殿は佐竹のライバルだし、松永殿と信玄殿って、俺達接点ないよね?
佐竹:芸術にライバルも、時代も関係ないよな?
三成:何いいこと言ってる、みたいになってんだよ。ところで信玄殿ってモデルの三人の中でもとりわけ違和感があるんだけど、なんでかな?
佐竹:信玄殿は葡萄酒色の兜輝く、アジアンビューティーだね。違和感があるのは、女性も男性も惹きつけたいという志が高邁すぎて、時代や我等の方が追いつけてないんだよ。DAPPEのモデルやるために、かなり減量したみたいだし、とても前向きで感謝のことばもない。
三成:なんでDAPPEのために三人共、そんなに協力的なんだろう。
佐竹:政宗殿なんかは人一倍オシャレにうるさいからね。DAPPEは戦国しまむら価格で、雑兵も気軽にオシャレが楽しめる。このコンセプトを、信玄殿、松永殿、政宗殿同じく共感してくれたんだと思うよ。
三成:ふーん。で、DAPPEって甲冑というより羽織に力を入れているの?
佐竹:まだ決めてないし、ほとんど何も作ってない。
三成:モデルの三人の着てるものって、もしかして自前?!
佐竹:うん、そうだよ。彼ら個々の自前。
三成:佐竹、いい加減にしろよ。
佐竹:そんな典型的な髪形と服装しているつまんない人間に、言われたくないね。とてもアヅモモの人間と思えない。
三成:シンプルが一番美しいんだよ!
以上、DAPPEインタビューでした。クレームは受け付けてません。(笑)