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戦国武将解説

高坂昌信(こうさか-まさのぶ)

プロフィール

高坂昌信
Masanobu Kosaka

山梨県の戦国武将。幼名は源助。武田信玄の家臣。

信玄死後は武田勝頼を真摯に支えた。

勝頼VS織田信長の長篠の戦いにおいては、上杉軍の守備を任され、昌信は現地で戦っていない。

ボロボロに負けて帰って来た勝頼とその臣下たち。彼らにみじめな思いをさせないよう、新しい武具や衣装を取り揃え、着替えさせた。

享年52(生1527-没1578)。武田信玄より6歳年下。同い年は酒井忠次

詳細

別名を香坂虎綱(こうさかとらつな)。武田信玄武田信玄に昌信は奥近習として使え、若くして重臣になりました。上杉謙信上杉謙信VS武田信玄の川中島の戦いで、昌信は最前線で活躍しました。

また徳川家康徳川家康VS武田信玄の三方ヶ原の戦いでは、敗走してゆく徳川軍を更に追い詰めようとする武田軍に、昌信は北条氏政織田信長織田信長、上杉謙信など近隣諸国の動きを忘れてはいけないと進言。信玄はじめ武田家臣みな、昌信の意見にハッとさせられ、徳川軍の深追いを止めました。

信玄死後は、信玄の息子・武田勝頼武田勝頼が新たに武田家当主となりました。そして迎える織田信長VS武田勝頼の長篠の戦い。昌信は信濃にて上杉軍の守備を任されました。

現地では織田軍の何千丁もの鉄砲隊の前で、無敵だったはずの武田軍騎馬隊は惨敗。重臣をほとんど失い、当主勝頼はじめ生き残って帰ってきた武田軍に、昌信はみじめな思いをさせまいと新しい武具や衣装を取り揃え、着替えさせるのでした。

その後も昌信は勝頼を補佐し、武田家の新たな活路を見つけ出そうと奔走しますが、そんな中病に倒れ死にました。

信玄がいない武田軍というと頼りない感じがしますが、高坂昌信のような知略に長け、優しさがある武将はなかなかいないのではないでしょうか。しかも美男子だったということでしたから、信玄亡き後の武田家の太陽のような存在だったのかもしれません。

高坂昌信相関図

武田家

主君:武田信玄武田信玄武田勝頼武田勝頼/同僚:山本勘助山本勘助

ライバル

上杉謙信上杉謙信徳川家康徳川家康織田信長織田信長

  

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高坂昌信イラスト