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三日月形兜@伊達政宗
解説
安土桃山時代、仙台市博物館蔵「鉄地黒漆塗六十二間筋兜」[註1]を参考に描きました。伊達政宗所用と伝わる重要文化財。
六二間の筋兜に、金箔押の三日月形の前立がつきます。兜両脇から左右から後方に垂れる錏(しころ)は板物四段下り。ちなみに鍋島直茂は六二間小星兜。
ユニフォーム化する甲冑
仙台具足は、政宗に始まる、シンプルな鉄地黒漆塗の具足。地厚の鉄地に五枚の鉄板を蝶番(ちょうつがい)でつないだ五枚同形式です。幕末まで形を変えることなく仙台藩では藩主以下、足軽の御貸(おかし)具足にまで使われました。
兜の前立は、基本的に藩主が金箔押の雄大な弦月(げんげつ)、藩士は全て金箔押八日月を用いました。
仙台藩同様の形式の具足に、細川忠興の越中具足、井伊直政の彦根具足があります。これらも藩主から下級武士にまで代々使用、実用重視で装飾をおさえたシンプルなデザインを特徴とします。
朝鮮王朝官吏の衣服は、常服から甲冑に至るまで、品階によって細かく定められています。またオヨモリや茼箇など合理的に工夫されいる面も少なくなく、日本の戦国時代から入った私はカルチャーショックを受けました。
文禄の役・第一次晋州城の戦いでは忠興三〇歳が、第二次晋州城の戦いでは政宗二七歳が日本軍として従軍。それまでの日本になかった、ユニフォームの文化の洗礼を受けたのかもしれません。
参考文献
- 伊澤昭二(甲冑解説)「黒漆塗五枚胴具足_伊達政宗」『図説・戦国武将118-決定版』(学習研究社、2001年)14頁
- 笹間良彦(監修)棟方武城(執筆)『すぐわかる 日本の甲冑・武具』(東京美術、2012年)