図1:津軽為信と陸奥簡略図
弘前藩祖・津軽為信がサンタさんにしか見えなくなってしまった…というだけの理由から、企画した戦国未満的クリスマスをお届します。
図2:陸奥三国志 津軽・南部・九戸
南部ファミリー 分裂の過程
- 津軽為信:天文一九年(1550)-慶長一二年(1607)。幼名は扇(おうぎ)。はじめ大浦氏と称し南部氏の臣下であったが、南部宗家に背いて領地を横領し、独立。享年五八
- 南部信直:天文一五年(1546)-慶長四年(1599)。盛岡藩祖。支族の為信が反乱したため、信直は九戸政実に命じてこれを討伐せんとするも、政実自身は動かず。小田原出陣の秀吉に拝謁し、所領安堵を受けるも、津軽三郡は先月に為信が安堵を許されたので除外される。享年五四
- 九戸政実:天文四年?(1535?)-天正一九年(1591)。奥州再仕置の流れの中で、豊臣秀次を総大将とする大討伐軍に対峙した南部氏の一族。享年五七?
おらはこのあだりにゆかりさ深ぐ、生まれでこのがだかもめのたまごを人一倍食べでいるど思いますう。
参考文献
- 山上笙介「南部信直」同著「津軽為信」『天下取り採点 戦国武将205人』(新人物往来社、1998年)13-15頁