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戦国武将解説

真田幸村(さなだ-ゆきむら)

プロフィール

真田幸村
Yukimura Sanada

長野県出身の武将。幼名は弁丸(べんまる)。

滅びゆく豊臣と運命を共ににする。

大坂冬の陣では徳川方を悩ませ、夏の陣で伊達政宗を破り奮戦、徳川方本陣にまでせまって家康本人を追い詰めたが、大坂落城前日、茶臼山で戦死。

享年49(生1567-没1615)。

伊達政宗塙団右衛門立花宗茂姜沆と同い年。徳川家康より24歳年下。

詳細

関ヶ原の戦い。西軍に加担していた真田幸村真田幸村は、東山道を通り関ヶ原に向かう東軍・徳川秀忠徳川秀忠の部隊を、父の真田昌幸真田昌幸と共に居城の上田城で10分の1の兵で見事撃退しました。

しかし、肝心の現地・関ヶ原で西軍が敗北。幸村は父・昌幸と共に徳川の命で九度山に蟄居させられてしまいました。九度山蟄居時代には、苦労の余り歯が抜け、髭が白髪になったと切ない心境を語った書状が現存します。

約15年の月日が経った時、九度山の幸村に豊臣家から徳川を倒さないか、と誘いがかかります。父・昌幸はもう死んでいました。

実は豊臣側からすると、幸村のそれまでのいくさの経験は意外に少なく、彼を召し抱えたとしても、その実力は未知数でした。

幸村自身も自分の実力は未知数だったでしょう。しかし幸村は豊臣家と徳川家とのいくさに賭けることにしました。

大坂の陣のはじまり。豊臣家は兵力の上で明らかに徳川家康徳川家康に負けていました。しかし幸村はそれをものともせず、冬の陣では機略をめぐらし、余裕しゃくしゃくの徳川方を悩ませました。

また、翌年の夏の陣では伊達政宗伊達政宗を破り奮戦。徳川方本陣にまでせまって、家康本人を追い詰めました。しかし衆寡敵せず、家康の首を取ることはできず、大坂落城前日の茶臼山で戦死しました。

滅び行く豊臣家に命を捧げた、不思議なる弓取り、真田幸村。儚い生涯というのにやはり日本人は弱いですよね。

真田幸村相関図

家族

お父さん:真田昌幸真田昌幸/お兄ちゃん:真田信之真田信之/義父(奥さんのお父さん):大谷吉継大谷吉継

関ヶ原の戦い(上田合戦)のライバル

徳川秀忠徳川秀忠

大坂の陣でのライバル

徳川家康徳川家康徳川秀忠徳川秀忠伊達政宗伊達政宗

大坂の陣の味方

後藤又兵衛毛利勝永長宗我部盛親塙団右衛門木村重成

  

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真田幸村

肖像素材/イラスト:リアル上田城