察度王統:三山・グスク時代
第一尚氏王統:首里城創建
尚姓は皇帝から賜りました。
中世(15世紀 室町幕府)
- 尚思紹(しょうししょう):1406~21。子の尚巴志の要請で王位につく。?年生-1421没。
- 尚巴志(はし):1422~39。思紹長男。佐敷(沖縄島南部)の武将。武寧を討って父を王位につけ、小王国(三山)統一。享年六八
- 尚忠(ちゅう):1440~44。巴志次男。享年五四
- 尚思達(したつ):1445~49。尚忠長男。享年四二
- 尚金福(きんぷく):1450~53 。尚巴志六男。足利義政に産物、中国銭を献じた。享年五六
- 尚泰久(たいきゅう):1454~60。尚巴志の子。王位継承をめぐる内乱ののち即位。享年四六
- 尚徳(とく):1461~69 。泰久の子。明にたびたび進貢し、諸外国との通商をすすめた。享年二九
第二尚氏王統:四〇〇年の長期政権
戦国時代
- 尚円(しょうえん):1470~76。通称金丸(かなまる)。尚稷(しょく)長男。首里城の第一尚氏をクーデターによって倒す。享年六二
- 尚宣威(せんい):1477~77。尚円の弟。兄の死後王位につくも、翌年王位を兄の子に譲り、越来(ごえく)に退隠。享年四八
- 尚真(しん):1477~1526。尚円長男。属島支配、按司(あじ:諸侯)の統制など中央集権化を強化し、また外国との貿易を推進。享年六二
- 尚清(せい):1527~55。尚真五男。古琉球に謡い継がれてきた歌謡集『おもろさうし』(全二二巻の)第一冊編集。享年五九
- 尚元(げん):1556~72。尚清次男。島津氏の修好につとめる。入貢を拒否した奄美大島を攻めて別の首長をたてた。享年四五
- 尚永(えい):1573~88。尚元次男。冊封を受けたとき、初めて首里門(現在の守礼門)に「守礼之邦」の額を掲げた。享年三〇
- 尚寧(ねい):1589~1620。尚真の玄孫。尚永長女の婿にして甥。在位は文禄・慶長の役にあたり、関ヶ原の戦い後には島津氏が琉球に侵攻した。享年五七
近世:江戸時代
- 尚豊(ほう):1621~40。尚元の孫。島津氏支配のもと、社会改革と産業復興に尽力。享年五一
- 尚賢(けん):1641~47。尚豊三男。明と清の争乱のため、明の冊封を受けることならず。享年二三
- 尚質(しつ):1648~68。尚豊四男。尚賢の弟。琉球最初の正史『中山世鑑』(せいかん)をつくらせた。享年四〇
- 尚貞(てい):1669~1709。尚質長男。島津久基に甘藷を送り、薩摩に甘藷が伝わる。享年六五
- 尚益(えき):1710~12。尚貞孫。父尚純は即位前に死去。飢饉、王城の火災にさいして島津家から援助をうけた。享年三五
- 尚敬(けい):1713~51。尚益長男。首里王府三司官・蔡温(さいおん)らの補佐を経て、産業の発展、文化・教育振興をはかり、三代尚真王以来の治績をあげた。
- 尚穆(ぼく):1752~94。尚敬長男。享年五六
- 尚温(おん):1795~1802。尚穆の孫。官生(かんしょう:中国への留学生)制度の改革をはかり、久米村の独占をやめて首里からも選抜した。享年一九
- 尚成(せい):1803~803。尚温長男。三歳のときに王位につき、四歳で死去。
- 尚灝(こう):1804~34。尚穆の孫。蘭、英の艦船が来島して開港・貿易を要求。享年四八
- 尚育(いく):1835~47。尚灝長男。英、仏の艦船が何度か渡来。享年三五
- 尚泰(たい):1848~79。安政元年(1854)ペリーと琉米(りゅうべい)協定を結ぶ。慶応二年(1866)清から最後の冊封使来琉。明治一二年(1879)沖縄県となり、政府の命で東京に移住。享年五九
参考文献
- 安里進『琉球の王権とグスク(日本史リブレット)』(山川出版社、2006年)
- 菅原正子「尚氏」小和田哲男(監修)同左二人・仁藤敦史(編集委員)『日本史諸家系図人名辞典』(講談社、2003年)352-354頁