解説
1.胸背とは
胸背(ヒュンベ,흉배)とは、朝鮮時代の文官・武官が執務をとるとき常服(サンボク)の胸と背に付けた、四角い徽章(きしょう)です。胸背は品階(階級)によって、刺繍される動物や文様が異なりました。
これに対して王族は、円形に龍が描かれた補(ポ)を袞龍袍(コルリョンポ)の胸、背、両肩の四ヵ所に付けました。
「天円地方」すなわち「天は円く地は四角い」「王は天に属し官吏は地に属す」という宇宙観により、補が円形、胸背は方形とされていました。
また、庶民でも婚礼の際、新郎は濃い青の官服に胸背を付けました。
2.歴史
胸背の発祥は言うまでもなく中国で、マンダリンスクエア(Mandarin Square)とも呼ばれています。直訳すると中国官吏の四角、です。
朝鮮の胸背制度は世宗(セジョン)二六年(1444)三月に明より冕服、常服を下賜されたことに始まります。
端宗(タンジョン)二年(1454)一二月に胸背制度が完成しました。しかし宣祖の代に文禄・慶長の役が起きると、文武官が戒服(ユンボク)を着るようになり、胸背制度は一旦廃止。粛宗一七(1691)には武官が胸背に鳥の絵柄を用いたとし、旧制度に従うように求めました。
英祖(エンジョ)一〇年(1734)一二月には、品階制度堂上下官などの混乱によって、胸背の区別が困難になりました。高宗(コジョン)八年(1871)の制度では、文武官及び堂上下官により下記表のように決まりました。
3.図柄年表
端宗二年(1454)
- 文官:一品:孔雀/二品:雲雁/三品:白鷴(しらきじ)
- 武官:一・二品:虎豹/三品は熊豹
文禄・慶長の役(1592~'98)
- 胸背制度中断。
英祖一〇年(1734)
- 文官飛禽、武臣獣と制定。武臣が鶴胸背を着用、これを禁ずる。
高宗八年(1871)
- 文官 堂上官:双鶴(サンハク,쌍학)/堂下官:単鶴(タンハク,단학)
- 武官 堂上官:双虎(サンホ,쌍호)/堂下官:単虎(タンホ,단호)
時代によって胸背の図柄が異なり注意が必要ですが、韓国時代劇の主な舞台である朝鮮時代中後期は、表に示した高宗八年(1871)の図柄(出典『五礼便攷(オレビョンゴ)』(儀章))をおさえておけば特に問題ないでしょう。
胸背の寸法は決まっていないようですが、ほぼ正方形だったり、横よりやや縦に長い四角だったりします。
4.文様
胸背の動物の周りには、長生紋(チャンセンムン,장생몬)が描かれています。長生紋は朝鮮特有の複合文様で不老草、岩、水、雲、太陽など長寿の象徴を集めてデザインです。国王龍補にはありませんが、王妃の龍補と文武官胸背、また婚礼服のファロッ(華衣)には長生紋が描かれています。
双鶴胸背はイラストの通り、鶴が不老草を加え、周囲には雲、山、サンゴ、波などが刺繍されています。
というわけで韓国時代劇において、官吏の服装を見たただけで身分は一目瞭然。一方、服装からは身分が判別できないのは、大儒・荻生徂徠先生曰く何を隠そう日本の江戸時代です。(笑)
参考文献
- 張淑煥(監修・著) 原田美佳 他(著・訳)『朝鮮王朝の衣装と装身具』(淡交社、2007年)
- 金英淑(編著)・中村克哉(訳)『韓国服飾文化事典』(東方出版、2008年)