室町幕府の公方
室町幕府をひらいた足利尊氏は、鎌倉幕府の基盤であった関東を特に重視。子の基氏(もとうじ)を鎌倉公方(くぼう)として鎌倉府を開かせ、関東八ヵ国と伊豆・甲斐を加えた一〇ヵ国を支配させました。しかし四代持氏のとき、幕府と対立して滅ぼされました。
子の成氏は、下総古河(茨城県古河市)によって古河公方と呼ばれましたが、北条氏に対抗できず没落。戦国時代末期に子孫は、下野喜連川(きつれがわ)にうつって喜連川氏を名乗り、明治時代になって足利氏に復姓しました。
系図
鎌倉公方:鎌倉府
- 足利基氏(もとうじ):尊氏の子。足利直義(ただよし)の養子。一〇歳で鎌倉公方(くぼう)となる。関東一〇ヵ国における鎌倉府支配体制の基礎を固めた。享年二八
- 氏満:基氏長男。細川頼之排斥事件を機に、三代将軍足利義満にかわり将軍職を得ようとしたが、関東管領上杉憲春の諌死(かんし)によって断念。享年四〇
- 満兼:氏満長男。大内義弘が足利義満打倒の兵をあげた応永の乱に呼応して、将軍職を狙い武蔵府中に出陣したが義弘の敗死と上杉憲定の諫言で断念し鎌倉にかえった。享年三二
- 持氏:満兼長男。永享の乱で幕府軍に敗れ自害した。
古河公方/戦国時代
- 足利成氏(もとうじ):足利持氏四男。五代鎌倉公方。享徳三年関東管領・上杉憲忠を殺して幕府の追討をうけ、下総古河(こが:茨城県)に移って古河公方と呼ばれた。文明一四年幕府と和睦。
- 政氏(まさうじ):成氏長男。北条早雲と結んだ長男高基と不破になり、古河を追われた。享年六六
- 高基:政氏長男。父を追放し、三代となる。子の晴氏の妻に北条氏綱の娘を迎え、勢力の回復をはかるが弟義明、さらに晴氏とも対立し享禄四年(1531)ごろ隠居。
- 晴氏:高基の子。氏綱の援助を経て、天文七年叔父の小弓(おゆみ)御所足利義明を破る。関東管領上杉憲政に与(くみ)して北条氏康・綱成と戦う(河越夜戦)が破れ、相模(神奈川県)波多野に幽閉された。のちに下総関宿(せきやど)に隠退。享年五三
- 義氏:晴氏の子。母は北条氏綱の娘。伯父氏康の庇護のもと、家督を継ぐ。享年四三。男子なく最後の古河公方。
小弓(おゆみ)公方
- 足利義明(よしあき):古河公方二代・政氏の次男。幼くして出家。父や兄高基と不和となり、還俗して流浪の後、突如下野に現れる。上総(かずさ:千葉県)の武田氏を後ろ盾に兵を挙げ、千葉氏重臣から下総(しもふさ)小弓城(千葉県)を奪い、小弓公方と名乗って古河公方と対抗。天文七年(1538)北条氏綱・氏康父子と下総国府台(こうのふだい)で決戦(第一次国府台合戦)し敗死。
参考文献
- 小和田哲男「足利氏」左同(監修)左同・菅原正子・仁藤敦史(編集委員)『日本史諸家系図人名辞典』(講談社、2003年)71-76頁