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戦国武将解説

佐竹義宣(さたけ-よしのぶ)

プロフィール

佐竹義宣
Nobuyoshi Satake

常陸国(茨城県)生まれ。秋田藩祖。幼名・徳寿丸。

常陸国時代は国の境界線で伊達政宗と争ったっぺ。

関ヶ原合戦前夜、豊臣家武功派らに追い詰められた石田三成を救出するという大胆な行動に出たっぺよ。

義宣の鎧兜はどれもユニークで、こちらあるイラストの様に前立てがモップにしか見えない様な兜もあるっぺ。

享年64(1570-1633)。同世代に初(常高院)宇喜多秀家など。

詳細

文禄年間 東日本諸大名配置図
図1:文禄年間 東日本諸大名配置図

佐竹義宣は、伊達政宗伊達政宗のライバルであった常陸国(茨城県)の大名。

国の境界線で伊達政宗と争い、政宗が相模国(神奈川県)の北条氏政北条氏政と手を組むと、義宣は豊臣秀吉豊臣秀吉と手を組むことにしました。

北条氏政・氏直VS秀吉の小田原合戦には、義宣も参戦。北条氏が敗れ、秀吉の世になると、常陸、陸奥、下野において五四万石を安堵されました。

義宣はまた、石田三成石田三成と仲が良く、政宗との間で問題が起こると、三成を通じて秀吉に助けを求め解決しました。

秀吉の死後、三成と徳川家康との対立が表面化。それに便乗して、元々三成嫌いの加藤清正加藤清正福島正則福島正則黒田長政ら七人の武将が、前田利家前田利家邸に詰めていた三成を襲撃しようとしました。

今度は義宣が、三成を助ける番が来ました。三成ピンチという情報をすばやくキャッチした義宣は、前田利家邸から三成を救出。伏見の徳川家康の所まで三成を警護しました。

敵である家康の屋敷に、かくまってもらうことになった三成。三成を襲撃しようとした加藤清正らは、そこに三成がいるといえど、徳川家康邸を攻めるわけにもいかず、この騒動は、三成と義宣の大成功におさまりました。

迎える関ヶ原の戦い。義宣は、父・義重(よししげ)が東軍よりということもあり、常陸国の水戸で中立の立場を取りました。関ヶ原は三成率いる西軍が破れ、家康率いる東軍が勝利。家康は東軍に属さなかった義宣を常陸国から、秋田二〇万石に移してしまいました。その後は大坂の陣に東軍として参陣、六四歳の生涯を閉じました。

佐竹義宣 相関図

ライバル

伊達政宗伊達政宗北条氏政北条氏政

仲良し

石田三成石田三成

その他

大きな大名にしてくれた人:豊臣秀吉豊臣秀吉/秋田に引っ越せと命じた人:徳川家康徳川家康

  

関連トピック

佐竹義宣イラスト:リアルDAPPE