解説
誰のこと?
両班(ヤンバン,양반)は、高位官僚や門閥の高い(士族)で形成される知識層、士大夫とほぼ同じ階層。政治、経済、社会支配力だけでなく、儒教文化を中心とする学問・芸術など担い手でした。
また国から収入源である田地が支給され、群役や税の軽減や免除があり、特権的な身分階級でもありました。
朝鮮王朝の宮廷では王の朝会のとき、南面した王[註1]の前の東側に文班(東班)が、西側に武班(西班)が階級を示した品階石[註2]にそって列をつくって並びました。この列のことを「班」といい、班が文・武、二つあったことから、官僚のことを両班と呼んでいました。
しかし朝鮮王朝時代を通じて両班という言葉は、科挙試験を通じて高級官僚を輩出することのできる家門、階層を指す言葉に変わりました。
両班もつらいよ
「三祖まで顕官(けんかん:高官)がなければ両班にあらず」というほど、科挙に合格することは両班一族にとって一大関心事。科挙の文科、武科に合格できず、冠を被ることができない白頭(ペクトゥ)のままの者は不孝の極みとされました。
父祖の功績によって、科挙を通らず官職に就く蔭除(いんじょ)を利用する者もありました。しかし低い位階での登用、出世が厳しいなどの理由により、両班でも科挙を受験するのが一般的でした。
また中央の高官の職を得る者とそうでない者の格差が開き、両班のなかでも階層分化が進みました。高級官僚は地方に土地をもち、都の漢城に住みました[註3]。一方で中央の高官には、党争という激しい派閥争いがありました。
ここで一旦まとめてみると、日本人の私は夫婦で地元の市役所に勤務している二組を知っています。その子らが目指すかどうかは別としても、役人になる環境と教育資本に恵まれています。これを昔の隣国に広げて考えれば、両班は科挙に合格して官僚になりやすい家柄、と言えるでしょう。
人口
朝鮮時代初期の両班は、人口の数パーセントに過ぎませんでしたが、末期には半数を超えました。両班階級は嫡子が世襲しますが、現実には官吏の地位を買って階級を手に入れたり、両班の家系を示す族譜(チェッポ)を買い入れてそこに自分を組み入れて新たに馳せ参じる者もいました。
それが両班階級増大の要因となっています。一方で官吏を数代にわたり排出できなかったり、犯罪行為をしてしまうと、階級を剥奪されることもありました。朝鮮王朝末期の1984年、高宗(コジョン,고종)による身分解放令で両班廃止が宣言されても、階層意識は容易に消滅されませんでした。
補註
参考文献
- 六反田豊 監修「エリート官僚集団「両班」」『朝鮮王朝がわかる!』(成美堂出版、2013年)26-27頁
- 砂本文彦「両班とは」『図説 ソウルの歴史 (ふくろうの本)』(河出書房新社、2009年)44頁
- 張淑煥(監修・著)、原田美佳 他(著・訳)「両班」『朝鮮王朝の衣装と装身具』(淡交社、2007年)156頁