顔面学
三成の肖像は当頁とこちら、二つあり、どちらも有名。家康を狸に、三成は狐に例えられますが、肖像は目が細くつりあがって本当に狐ぽいです。
慶長五年(1600)関ヶ原の戦いで敗れた三成は、京都・六条河原で打首、三条大橋のたもとにさらされ、大徳寺三玄院に埋葬されました。その遺骨は三〇七年後の明治四〇年(1907)十月に見つかりました。
この時の頭骨の計測値や写真などの資料から、昭和五〇年に復元された三成は――身長156センチ前後、骨格は一見して女性と間違うほど華奢、顔は当時としては珍しい細面、鼻は高く隆起し鼻筋の通った優男、かなりひどい反っ歯(そっぱ:出っ歯)[文献]でした。
果たして肖像も細面で鼻がすっと高い印象。女性に化けた狐の正体は――忖度しない、検地または朝鮮奉行なのでした。参考:杉山丕氏蔵 石田三成画像
石田三成
ご利用について
参考文献
奈良本辰也 監修『戦国武将ものしり事典』(主婦と生活社、2000年)「現代人に女性と見まがわれた石田三成」301頁