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文禄・慶長の役

文禄の役 日本軍相関図

秀吉の明国制圧の野望により文禄元年(1592)四月、日本軍二〇万が朝鮮全土へ侵攻。日本軍VS朝鮮・明連合軍との七年にも及ぶ大戦争がここに始まる――

最高司令官

豊臣秀吉
豊臣秀吉
弱い敵を叩き潰して何がわるいの?渡海はせずに日本から朝鮮支配について指示。「結果を出せない大名は改易だYO☆」

第一軍

平安道(ピョンアンド)へ進軍

兵力18,700人:小西行長7,000・宗義智5,000・松浦鎮信(まつら-しげのぶ)3,000・有馬晴信2,000・大村喜前(よしさき)1,000・五嶋純玄(ごとう-すみはる)700

小西行長 宗義智
小西行長 宗義智
釜山に上陸するや破竹の勢いで北上、僅か半月でソウルを制圧。更に進軍して平壌も制圧。一方、秀吉をだましてまで和議に全力を尽くす。 行長の娘婿で対馬島主。朝鮮の役では常に行長と行動を共にする。平壌の戦い李如松に敗退後、行長と沈惟敬の和議交渉を支えた。

第二軍

咸鏡道(ハムギョンド)へ進軍

兵力22,800人:加藤清正10,000・鍋島直茂12,000・相良長毎(ながつね)800

加藤清正 鍋島直茂
加藤清正 鍋島直茂
第二軍なのに行長と先陣争いをし、朝鮮第一の大寺・仏国寺は焼き払った。朝鮮二王子を捕え、制圧した咸鏡道で年貢を取り立てを徹底させる。 清正と二人三脚で咸鏡道支配に励むが、義兵抗争が激化。清正が捕らえた朝鮮二王子が足かせとなり、義兵鎮圧に集中できない事態に陥る。

第三軍

黄海道(ファンヘド)へ進軍

兵力11,000人:黒田長政5,000・大友義統(よしむね)6,000

黒田長政 後藤又兵衛
黒田長政 後藤又兵衛
第一軍と共に北上して平壌を制圧。このあと南下して黄道道・海州(ヘジュ)を軍事拠点としたが義兵が起こり、彼らとの戦争が始まる。 長政の家臣。第二次晋州城の戦いでは清正と長政が亀甲車なるものを考案し石壁を崩し、又兵衛は一番乗りで城内に侵入した。

第四軍

江原道(カンウォンド)へ進軍

兵力14,000人:島津義弘10,000・毛利吉成2,000・高橋元種 秋月三郎 伊東祐兵 島津豊久2,000

島津義弘
島津義弘
文禄の役はわりと大人しく、慶長の役で大暴れする。停戦前の第二次晋州城の戦いでは第一隊として清正・長政・直茂と共に戦闘に加わった。

第五軍

忠清道(チュンチョンド)へ進軍

兵力25,100人:福島正則4,800・戸田勝隆3,900・長宗我部元親3,000・蜂須賀家政7,200・生駒親正5,500・来島兄弟(通之・通総)700

福島正則 長宗我部元親
福島正則 長宗我部元親
忠清道は釜山とソウルの中間にあり、兵站の保全と輸送が主な任務の為、四国衆の五軍は非常に影が薄い。しかし他軍同様、義兵抗争には苦戦を強いられた。

第六軍

全羅道(チョルラド)へ進軍

兵力15,700人:小早川隆景10,000・毛利秀包1,500・立花宗茂2,500・高橋直次(宗茂の弟)800・筑柴広門900

小早川隆景 立花宗茂
小早川隆景 立花宗茂
秀吉に指示されていた担当区域の全羅道侵犯を目指すが郭再祐金誠一権慄らの朝鮮連合軍に、錦山(クムサン)で撃退される。 平壌城の小西行長を敗走させた李如松がソウルの日本軍襲撃の為南下。これを迎撃すべく先鋒として碧蹄館で明軍に挑む。

第七軍

慶尚道(キョンサンド)釜山在陣

兵力30,000人:毛利輝元30,000

毛利輝元
毛利輝元
この戦争は毛利対朝鮮・明連合軍かと思うほど毛利一族が主力をなす。七軍は全軍の出発点である釜山に留まり、ここを守備する。

第八軍

京畿道(キョンギド)首都ソウル在陣

兵力10,000人:宇喜多秀家10,000

宇喜多秀家
文禄の役 総大将
宇喜多秀家
ソウルを目指し南下した明将・李如松を碧蹄館で迎撃。しかし朝鮮軍の権慄幸州山城で、総大将・秀家は重傷を負った。

第九軍

慶尚道へ進軍

兵力11,500人:羽柴秀勝8,000・細川忠興3,500

細川忠興
細川忠興
秀吉から慶尚南道から全羅道へ通じる要塞の地・晋州攻撃の指示を受け、金時敏籠る晋州城を包囲。かくして英雄との死闘の六日間が始まる。

水軍

兵力9,200人:九鬼嘉隆・藤堂高虎・脇坂安治・加藤嘉明

九鬼嘉隆 藤堂高虎
九鬼嘉隆 藤堂高虎
信長に属し世界初・甲鉄軍艦で無敵の毛利水軍を撃破した日本一の水軍将。第二ステージは朝鮮の海。東アジア一になれるかな? 破竹の勢いで進軍する日本陸軍に対し高虎の水軍は李舜臣の朝鮮水軍に玉浦で撃破されて、日本軍最初の敗戦将に輝いた。
脇坂安治 加藤嘉明
脇坂安治 加藤嘉明
先駆けの功名を狙って九鬼嘉隆と加藤嘉明を置いて手勢のみで出撃して李舜臣に閑山島でコテンパンにやられるという面白い人。 手勢のみで出撃した巨済島に出撃した脇坂を九鬼隊長と共に追いかけ、高虎とは功を争って遂には絶交までに至ってしまう――!
来島通之 来島通総
来島兄弟(通之・通総
石山合戦で毛利を助けた能島・因島村上水軍と違い、来島村上水軍は織田を助け、秀吉の時代に大名となる。文禄の役では四国衆の第五軍に配属されたが、日本水軍連敗により水軍に配置替え。満を持して李舜臣に挑む。

諸隊

黒田官兵衛 上杉景勝
黒田官兵衛 上杉景勝
名護屋城の設計者。ソウルで日本の大名たちに明軍からの攻撃対処について助言。停戦前の第二次晋州城の戦いの戦闘に加わった。 小西行長と黒田長政が平壌城に入った文禄元年六月に、釜山にほど近い慶尚道南東海岸の熊川(ウンチョン)に出陣した。

朝鮮奉行

兵力7,200人:石田三成2,000・大谷吉継1,200・増田長盛1,000・加藤光泰1,000・前野長康2,000

石田三成 大谷吉継
石田三成 大谷吉継
穏健派を倒して政権を奪取、文禄の役が始まる。秀吉に渡海を促すが中止となり、三成が奉行として大谷らと渡海することとなった。 奉行の三成らと共にソウルに到着した文禄元年七月には、戦況が暗転。奉行も碧蹄館・幸州山城及び第二次晋州城の戦いに加わった。

第二次晋州城の戦い 増派軍

晋州城再攻撃のため新たに秀元・政宗・浅野長政らが加わり、かくして文禄二年六月日本軍九万二千、戦乱最大の大軍団が晋州城を包囲した。

毛利秀元 伊達政宗
毛利秀元 伊達政宗
輝元のいとこで当時15歳の少年。慶長の役で再渡海、右軍総帥として活躍する。 関東・東北の大名は渡海しなくてもいいのに、わざわざ渡海するおバカ。
浅野長政
浅野長政
自身も渡海するという秀吉に一喝した男の中の男。長吉・行長・義智・家康は戦国平和四天王だと思う。

肥前名護屋 後詰め

徳川家康 前田利家 蒲生氏郷
徳川家康 前田利家 蒲生氏郷
渡海はしないが本営の肥前(佐賀県)名護屋に在陣。自身も渡海するという秀吉を浅野長政と共に家康・利家・氏郷が制止した。

解説

戦国時代の合戦は一般的に、敵国から近い武将が先鋒以下に順次配属されます。これにより文禄・慶長の役では主に九州の大名を中心とした西国の大名が動員されました。

文禄の役では当時活躍していた武将がほぼ出揃い、オールスターの様相を呈しています。しかしみんなで朝鮮へ遊びに行ったわけではないので、朝鮮・明連合軍がこれを迎え撃ちます。

第一軍の小西行長小西行長宗義智宗義智が釜山(プサン)に上陸すると、破竹の勢いで北上。僅か半月で首都ソウルを制圧しました。

ソウル制圧後、日本の各軍は豊臣秀吉豊臣秀吉に指示された担当地域に進軍、朝鮮全土もほぼ制圧してしましました。

しかし義兵抗争が活発化、朝鮮官軍も本領を発揮しはじめ、明の援軍も到着すると、日本各軍は担当地域の制圧に失敗してソウルに戻りました。

かくして文禄の役の後半戦は、ソウルで総力を結集した日本軍VSソウル奪還を目指す朝鮮・明連合軍という構図になります。

また、これとは別に李舜臣李舜臣率いる朝鮮水軍VS日本水軍の大変面白い――といったら語弊があるのですが、めちゃくちゃ面白い海戦があります。

以上詳しくは、関係地図文禄の役 略年表等および各武将の解説ページをご参照ください。

  

文禄・慶長の役

相関図

朝鮮・明連合軍/文禄の役 日本軍/慶長の役 日本軍

概要

文禄・慶長の役とは

地図

東アジア各国関係図朝鮮八道色分け地図文禄の役 日本軍進路

慶長の役 日本軍進路図倭城とは 分布図と一覧合戦地図

年表

文禄の役 略年表慶長の役 略年表

朝鮮国

朝鮮の官制その1 京官その2 外官-陸軍・水軍、地方行政朝鮮王朝の党争

明国

明の官位相当表

日本国

文禄年間 全国の諸大名配置図九州中国・四国近畿東海・北陸東日本

慶長前期 全国の諸大名配置図村上水軍とは 前編後編

戦後

日朝国交回復年表

参考文献

北島 万次『豊臣秀吉の朝鮮侵略 (日本歴史叢書) 』(吉川弘文館、1995年)

笠谷 和比古, 黒田 慶一 『秀吉の野望と誤算―文禄・慶長の役と関ケ原合戦 』(文英堂、2000年)