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文禄・慶長の役

中国・四国地方 諸大名配置図(勢力図)

地図

文禄年間(1592~95年)中国・四国地方

文禄年間中国・四国諸大名地図

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文禄の役 日本軍 中国・四国勢

武将名(居城)動員数(人)

第五軍・四国衆 18,700

  • 福島正則(伊予今治)4,800
  • 戸田勝隆(伊予板島)3,900
  • 長宗我部元親(土佐浦戸)3,000、蜂須賀家政(阿波徳島)7,200、生駒親正(讃岐高松)5,500、来島通総(伊予風早)700

第七軍 30,000

第八軍・総大将 10,000

水軍 9,200

解説

文禄・慶長の役では主に九州の大名を中心とした西国の大名が動員されました。

領主が変わりまくる伊予国

文禄の役日本軍・第五軍は四国の諸大名で編成。伊予国(愛媛県)は、往古から海賊たちの王・河野氏が支配していました。

しかし天正一三年(1585)豊臣秀吉秀吉の四国征伐により、河野氏は滅びて伊予国領主は小早川隆景小早川隆景福島正則福島正則・戸田勝隆・加藤嘉明加藤嘉明と目まぐるしく(このあとも)変わります。

これほど領主が変わる国も珍しく、このたび当サイトが地図を製作したキッカケというのも、実のところ伊予と日本水軍整理のためです。

日本水軍

さて、元織田信長織田信長の水軍将九鬼嘉隆九鬼嘉隆が日本水軍に配属されるのは理解できると思います。

では、藤堂高虎藤堂高虎(紀伊紛河)・脇坂安治脇坂安治(淡路洲本)・加藤嘉明加藤嘉明(伊予松崎)は何なのかというと、秀吉から宛がわれた新領地が水軍の国のゆえの参加となります。

村上水軍の雄・来島通総来島通総(伊予風早)は当初第五軍に属していますが、苦戦続きの日本水軍を救うべく水軍に配置替えになりました。

第七と八軍

第七軍は安芸広島の毛利輝元毛利輝元。毛利氏は第六軍の小早川隆景はじめ日本軍の主力であり、第八軍の宇喜多秀家宇喜多秀家は文禄の役・総大将です。

参考文献

文禄・慶長の役

地図

文禄年間 大名配置九州・中国四国・近畿中部東日本

慶長前期 大名配置東アジア朝鮮八道色分け倭城

相関図

朝鮮・明連合軍文禄の役 日本軍慶長の役 日本軍