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戦国武将解説

島津義弘(しまづ-よしひろ)

プロフィール

島津義弘
Yoshihiro Shimazu

鹿児島県の武将。兄弟は四人。義弘は次男で、長男の義久が島津家当主。

常に戦場の最前線に立ち、九州の強敵・龍造氏や大友氏を倒し、兄・義久と共に九州統一を進めたが、豊臣秀吉の九州征伐に敗北。

薩摩・大隅両国を安堵され、文禄の役に従軍。第四軍として江原道へ進軍し、また朝鮮の要衝・晋州城を攻略した。

慶長の役では朝鮮水軍将・元均を討ち取り、義弘籠る泗川(サチョン)倭城を攻撃しに来た明・朝鮮連合軍も撃退。

そしてこの戦争の最後に露梁海峡において、李舜臣率いる朝鮮水軍に挑む――!

享年85(生1535-没1619)。織田信長より1歳年下。同い年は荒木村重丹羽長秀

詳細

1.兄・義久との不思議な関係

文禄年間 九州諸大名配置図
図1:文禄年間 九州諸大名配置図

薩摩の島津家当主の四人兄弟次男として生まれた島津義弘義弘。

しかし長男でお兄ちゃんの義久が島津家当主となっても、義弘には力があって島津家は義久と義弘が双璧となって支えていました。

豊臣秀吉豊臣秀吉も島津家に交渉する際は、義久にすべきか義弘にすべきか、迷うこともあったようです。

義久と共に九州統一を進めましたが、秀吉の九州征伐に敗北。

島津家は薩摩、大隅両国の支配を安堵されますが、朝鮮のいくさに参戦しなければなりませんでした。

2.文禄・慶長の役

朝鮮全土_文禄の役緒戦
図2:文禄の役 日本軍進路

文禄の役では義久は薩摩に残り、義弘は第四軍として渡海して江原道へ進軍。また加藤清正加藤清正黒田長政黒田長政らと共に朝鮮の要衝・晋州城を攻略しました。

慶長の役においても渡海。藤堂高虎藤堂高虎・加藤嘉明・脇坂安治脇坂安治率いる日本水軍が元均(ウォン・ギュン)率いる朝鮮水軍を漆川梁(チルチョンリャン)にて撃破。

陸地に逃れた元均を陸地で待機していた島津軍が襲撃、元均は敗死しました。

日本軍は全羅道に侵入し各地で虐殺や略奪を行いましたが、秀吉が死去し日本軍帰国となった時、明・朝鮮連合軍の大逆襲が始まります。

3.泗川の戦い

泗川の戦い
図2:泗川の戦い

明・朝鮮連合軍は四路に分けて、中路軍提督 薫一元(とういつげん)は、義弘籠る泗川(サチョン)倭城に向けて進軍しました。

これに対し島津軍は南江(ナムガン)の対岸にある出城の望晋(マンジン)倭城に寺山久兼、永春(ヨンチュン)倭城に川上久智を、また船津浦の対岸の昆陽(コンヤン)倭城に北郷三久・伊集院忠真を配置しました。

薫一元は連日攻撃して、これら倭城を落とし、南江を越えた明軍でしたがこれは義弘の罠でした。

一〇月一日、薫一元率いる連合軍が泗川倭城に押し寄せ、矢や銃弾を浴びせました。これに対し、島津軍は一斉に鉄砲で迎撃。

明軍は退却し、島津家記録『征韓録』によれば、このとき打ち取った首は三万八千七百十七であり、これらの鼻を削いで大樽に詰めて日本に送りました。詳しくは泗川の戦いをご参照ください。

4.露梁海戦

一方、順天倭城の小西行長小西行長は、明・朝鮮軍に城を囲まれ帰国の帰路を断たれていました。小西救援の為、義弘は立花宗茂立花宗茂宗義智宗義智らとともに約五百隻の大船団を率いて、南海から露梁(ノリャン)に迫りました。

露梁の海戦
図3:露梁海戦

義弘を最後に待ち構えていたのは、救国の英雄・李舜臣李舜臣

義弘の率いる兵船が露梁津の海峡に至ると、李舜臣率いる朝鮮水軍と陳璘率いる明水軍は左右から砲撃を加えました。

戦いは翌日まで続き、混戦となり、島津勢が発した銃弾が李舜臣の胸中に命中。

一方の島津勢は多数の死傷者を出し、露梁海戦は明・朝鮮連合軍の大勝利に終わりました。

小西は義弘が死闘を繰り広げている中、お陰様で無事脱出しました。

4.関ヶ原の戦い

帰国後は関ヶ原の戦いが待っていました。

西軍・石田三成石田三成側についた島津家。関ヶ原に赴いたのはやはり義弘で、お兄ちゃんの義久は薩摩にいました。お兄ちゃんは、朝鮮の戦も、関ヶ原の戦いも非協力的で、充分な物資や人員を義弘に送ってはくれませんでした。

少ない兵で関ヶ原に布陣した島津軍。しかし、もともと関ヶ原の戦いには加わりたくなかったので、戦いが始まっても動きませんでした。一応見方についてみた西軍が負けると、島津軍のとった行動は、徳川家康徳川家康本陣のど真ん中を通る的中突破でした。ただ逃げるのも島津の意地が許さないということらしいです。

的中突破する島津軍を猛将・本多忠勝本多忠勝が後ろから猛攻。島津軍の犠牲は大きく、多くの兵を失い、義久の息子すなわち義弘の甥っ子もここで失ってしまいました。

義弘は命からがら、薩摩へなんとか逃げ帰ってきました。揺れ動く兄弟愛の中、朝鮮での死闘、関ヶ原では的中突破をやりとげたドラマチックな島津義弘でした。

島津義弘相関図

九州のライバル

大友家

大友宗麟大友宗麟立花道雪立花道雪立花宗茂立花宗茂

龍造寺家

龍造寺隆信龍造寺隆信鍋島直茂鍋島直茂

漆川梁海戦

ライバル:元均

味方:藤堂高虎藤堂高虎脇坂安治脇坂安治

露梁海戦

ライバル:李舜臣李舜臣陳璘

味方:立花宗茂立花宗茂宗義智宗義智小西行長小西行長

関ヶ原の戦い

石田三成石田三成徳川家康徳川家康もちょー微妙。

関ヶ原の戦いで的中突破する島津隊を、本多忠勝本多忠勝隊が猛攻しました。

  

島津義弘関連リンク

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文禄・慶長の役

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