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文禄・慶長の役

玉浦(オクポ/ぎょくぽ)海戦 李舜臣デビュー戦 迎え撃つは藤堂高虎水軍

目次

文禄の役の流れ基本データ解説参考文献関連記事

文禄の役の流れ

文禄元年(1592) 文禄二年(1593)
日本軍北上 形勢逆転 日本軍南下 帰国
5月初旬 同左 7月初旬 10月初旬 1月初旬 同下旬 2月中旬 6月下旬 8月
ソウル陥落 玉浦海戦 閑山島海戦 第一次晋州城の戦い 平壌の戦い 碧蹄館の戦い 幸州山城の戦い 第二次晋州城の戦い 一時停戦へ

基本データ

概要

  • 年月日:文禄元年(1592)5月7日 
  • 場所:慶尚道 巨済島(コジェド,거제도)の玉浦(オクポ,옥포)
  • 概要:首都ソウルが陥落。李舜臣が満を持して挑む最初の海戦。

陣容

日本水軍50余隻

  • 大将:藤堂高虎藤堂高虎
  • 部隊:高虎率いる日本水軍

朝鮮連合水軍74隻

  • 大将:全羅左水使 李舜臣李舜臣
  • 全羅左水営:蛇渡僉使 金浣(キム・ワン)、防踏僉使 李純信(イ・スンシン)、鹿島万戸 鄭運(チョン・ウン)、順天府使 権俊(クォン・シュン)ら。
  • 慶尚右水営:慶尚右水使 元均ら。
  • 全羅右水営:全羅右水使 李億祺(イ・オクギ)ら。

結果

日本水軍26隻喪失、朝鮮連合水軍1隻喪失。

解説

最初の海戦

玉浦海戦(VS藤堂高虎)
図:玉浦海戦

豊臣秀吉豊臣秀吉明国制圧の野望により、日本軍朝鮮へ侵攻

文禄元年(1592)四月一三日、第一軍・小西行長小西行長、第二軍・加藤清正加藤清正ら日本軍は、釜山から破竹の勢いで北上、朝鮮陸軍を連戦撃破し、僅か半月で首都ソウル・漢城(ハンソン)を制圧しました。

もはや朝鮮もこれまでか――

ソウル陥落後四日後にあたる五月七日。 朝鮮水軍司令官である全羅左水使李舜臣李舜臣が、七四隻の兵船を率いて朝鮮の海に現れました。

そして巨済島(コジェド)の玉浦(オクポ)に停泊していた日本水軍・藤堂高虎藤堂高虎率いる五〇余隻に大砲を浴びせました。

この奇襲に対し、藤堂高虎は二六隻もの船を喪失。しかし朝鮮水軍は一隻失ったのみ。朝鮮軍が日本軍に初めて勝利し、日本軍が朝鮮軍に初めて敗北した瞬間でした。

参考文献

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