プロフィール
豊臣秀頼側近。長門守(ながとのかみ)。出身不明。
大坂冬の陣が初陣で、佐竹義宣隊に攻めかかる。また秀頼の使者として、徳川秀忠の陣に赴き、将軍の誓書を受け取る。
夏の陣では討ち死を覚悟で、兜に香をたき、また恋愛結婚で結ばれた青柳別れの盃をかわす。
かくして、長宗我部盛親らと出撃し、藤堂高虎の軍勢を引き受ける――!
享年23?(1593?-1615)。秀頼と同い年くらい。
詳細
木村重成の父や出自はよくわかっていませんが、幼少の頃から豊臣秀頼に仕え、年も秀頼と同じくらいと推定されます。
初陣は、大坂冬の陣最大の激戦となった鴫野(しぎの)・今福の戦い。今福を攻める佐竹義宣隊に攻めかかり、佐竹は上杉勢に援軍を求めるほどでした。
このような難攻不落の大坂城に、力攻めを諦めた家康は和睦にこぎつけました。重成は秀頼の使者として、岡山の徳川秀忠の陣に赴き、将軍の誓書を受け取りました。
重成の立派な立ち振る舞いに、余裕しゃくしゃくだった居合わせた諸将は感嘆。また油断してる場合ではないとさとり、徳川方は急いで大坂城の堀を埋めてしまいました。
最期の決戦、夏の陣。出陣前、討ち死にを覚悟をしていた重成は、兜に香をたきこめました。当時としては珍しい恋愛結婚で結ばれた青柳と、新婚五ヵ月で別れの盃をかわしました。
重成は八〇〇〇の兵を率いて、長宗我部盛親らと出撃。河内国(大阪府)若江に出陣、藤堂高虎の軍勢を引き受け、その半数を失わせました。しかし、続けて攻め寄せた井伊直孝を防ぎきれませんでした。
重成の首実験。香がたちこめられいる兜。東軍の武将は重成のその奥ゆかしさに、またも胸を打ったのでした。
木村重成 相関図
大坂の陣 西軍
夭折
参考文献
- 小和田哲男 監修『ビジュアル 戦国1000人』(世界文化社、2009年)「木村重成」310頁
- 藪景三「木村重成」『天下取り採点 戦国武将205人』(新人物往来社、1998年)199頁