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戦国人物解説

板倉勝重(いたくら-かつしげ)京都所司代の「神」対応

目次

プロフィール詳細:1.元禅僧 2.京都所司代とは

3.通信使、天皇、豊臣対応 4.長男重宗ほか子孫たち

相関図参考文献関連記事

プロフィール

板倉勝重
katsushige Itakura

三河国(愛知県)生まれ。徳川家康の家臣で京都所司代。

通称・甚兵衛、四郎右衛門。三〇代半ばまで僧侶だったが、父と跡継ぎの弟が死去して還俗。

家康の臣下になって、関ヶ原の戦い後に京都所司代。二条城の普請奉行も務めた。

豊臣勢力や朝廷・寺社対策に腐心し、京都市中に対しては法制、裁判、宗教政策などの面で善政を行い、名所司代として後世に名を残す。子孫たちは――?

享年80(1545-1624)。同い年は李舜臣浅井長政山内一豊

詳細

1.元禅僧

勝重は、板倉好重(よししげ)の子として三河国(愛知県東部)に生まれました。

幼時に出家し、三〇代半ば過ぎまで禅僧として香誉宗哲と称しました。しかし父・好重と跡継ぎの弟・定重の戦死すると、天正九年(1581,本能寺の変前年)三六歳の時に還俗して家を継ぎました。

その年、徳川家康徳川家康が駿府に移ると、その町奉行、その四年後の関東移封の際には、江戸町奉行並びに関東代官になりました。その一〇年後に関ヶ原の戦いがあり、三年後の慶長八年(1603)に家康が征夷大将軍に任命されると、勝重は伊賀守に叙任、京都所司代になりました。

2.京都所司代とは

京都御所のお姫様その1
京都御所 2004撮影

京都所司代は、室町幕府の侍所(さむらいどころ)の所司代に由来し、織田信長織田信長村井貞勝村井貞勝に任じたのに始まり、豊臣秀吉豊臣秀吉が天下を治めるとこれを前田玄以を任じました。

関ヶ原後は家康が奥平信晶に任じ、信晶が幕府初代・京都所司代になります。慶長六年には板倉勝重、そのとは子の重宗が継ぎ、板倉父子の活躍で京都の治安が確立しました。

所司代の職務は京都の護衛、朝廷や公家の監察、京都町奉行・奈良奉行・伏見奉行の管理、近畿八カ国の幕府領の訴訟の処理、西国大名の監察などで定員は一名。京都所司代は譜代から選任され、老中につぐ要職となりました。

3.通信使、天皇、豊臣対応

二条城入口
二条城 2004年撮影

京都所司代在任中の勝重は、豊臣勢力や朝廷・寺社対策に腐心し、京都市中に対しては、法制、裁判、宗教政策などの面で善政を行いました。

豊臣政権下で七年にも及んだ文禄・慶長の役。家康は日朝国交回復のため朝鮮に和議を求めました。対馬の宗義智宗義智と外交僧の景轍玄蘇景轍玄蘇らの尽力もあって、朝鮮は通信使の派遣を決定。同一二年(1607)に江戸期第一回朝鮮通信使が来日すると、勝重は京の大徳寺で丁重におもてなしをしました。

同一四年、山城(京都府)で一万六六〇〇を与えられました。一方、譲位を決意した後陽成天皇と家康とが対立、勝重が奔走し事態は収束。同一六年(1611)二月、政仁親王一六歳の譲位が実現されました。

また豊臣氏や西国諸大名の動静は、確実に家康に通報され、豊臣氏滅亡の原因となった方広寺鐘銘事件は金地院崇伝とともに暗躍したようです。大坂の陣を経て、豊臣氏が滅亡した四年後、勝重は一六年務めた所司代を子の重宗に譲り、その五年後、堀川三条の隠居屋敷にて死去しました。享年八〇。

ところで二条城は、京都市中京区にある城郭で関ヶ原の戦いに勝利した家康が築き、普請奉行には勝重が務めました。織田信長織田信長足利義昭足利義昭のために建てた通称二条城とは位置が異なります。

また春日局は、勝重に推挙されてお江の子・家光の乳母になりました。

4.長男重宗ほか子孫たち

勝重の長男・重宗(しげむね)は将軍・徳川秀忠秀忠の側近として仕え、父のあと元和六年(1620)京都所司代。三六年在職。父とともに名所司代といわれ、父子二代に渡る政務の記録『板倉政要』があります。

退任後下総(しもふさ:千葉県)関宿(せいやど)藩主初代、五万石。享年七一。この直系は転封を繰り返し、幕末の勝静(かつきよ)は備中(岡山県)松山藩主板倉家七代で老中となり将軍徳川慶喜を補佐しました。

支流に三家あり、重宗次男・重形(しげかた)からはじまる安中藩の板倉氏はのちに加増され三万石。勝重三男の重昌(しげまさ)を祖とする家は、重昌が島原の乱の鎮圧に出陣して戦死するも、家は存続し老中を出しました。何れの家も幕末に至りました。

板倉勝重 相関図

板倉氏

  • 父:好重、母:本多光次の娘
  • 弟:定重

譜代大名

  • 長男:重宗。京都所司代。のちに備中松山藩となる直系。
  • 三男:重昌。のちに陸奥福島藩の祖。
  • 孫:重形。重宗次男。上野(群馬県)安中藩の祖。
  • 曾孫:重宣(しげのぶ)。重昌の孫。備中庭瀬藩の祖。

徳川氏

その他

参考文献

  • 高尾一彦「板倉勝重」『国史大辞典1』(吉川弘文館、1979年)608頁
  • 小和田哲男「板倉氏」左同(監修)左同・菅原正子・仁藤敦史(編集委員)『日本史諸家系図人名辞典』(講談社、2003年)119-122頁
  • 永原慶二 編『日本歴史大事典』(小学館、2000年)
  • 『ブリタニカ国際大百科事典 小項目電子辞書版』(ブリタニカ・ジャパン、2008年)

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