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戦国人物解説

浅井長政(あざい-ながまさ)姉川にて信長に挑む、三姉妹の父

目次

プロフィール詳細:1.バツイチ再婚 2.運命共同体・朝倉

3.姉川の戦い 4.石山合戦 5.世にも珍しい肴

補註相関図参考文献関連記事

プロフィール

浅井長政
Nagamasa Azai

近江(滋賀県)小谷(おだに)城主。幼名は猿夜叉丸(さるやしゃまる)。

信長の妹お市と結婚、浅井三姉妹茶々お初お江の父となる。

しかし信長が越前へ侵攻すると、同盟関係である越前朝倉氏に与(くみ)。

浅井・朝倉連合軍、姉川にて織田・徳川連合軍に挑む――!

享年29(1545-1573)。

同い年は李舜臣板倉勝重山内一豊。信長より11歳年下。

詳細

1.バツイチ再婚

浅井長政_地図
図:浅井長政_関係地図

北近江の大名・浅井久政の子である浅井長政長政は、一五歳で六角氏の重臣平井定武(さだたけ)の娘と結婚。

美人で作法も心得ている申し分のない娘でしたが、長政は六角氏の配下になることを嫌い離縁。永禄三年(1560)一六歳の時に家督を継ぎ、野良田表の戦いで六角氏を破りました。

二三歳の時に織田信長織田信長の妹・お市の方お市と結婚。そのころ信長は美濃を平定した実力のある大名だったので、浅井氏もこれで安泰というものでした。

2.運命共同体・朝倉

一方、上洛を果たした信長によって第一五代将軍となった足利義昭足利義昭は、自分は飾りに過ぎないとさとり、信長を倒そうと諸国の大名に密書を送りました。これに越前の朝倉義景朝倉義景がのりました。

これを知った信長は越前へ侵攻。朝倉氏は同盟関係である浅井氏に助けを求めます。すると長政は朝倉氏に与(くみ)することに決め、敵であった六角氏とも連携。信長にとっては、長政だけでなく六角氏の反逆も想定外でした。

3.姉川の戦い

元亀元年(1570)六月、浅井長政・朝倉義景連合軍一万八〇〇〇VS信長・徳川家康徳川家康連合軍三万一〇〇〇による姉川の戦いがおこりました。

浅井に助けを求めた朝倉がいざ姉川の戦いが始まると消極的で、浅井が主力となって戦っていました。大変な激戦の末、朝倉・浅井は敗北。しかし信長は浅井長政・朝倉義景の首を取るまでに至りませんでした。

4.石山合戦

同年九月本願寺顕如が信長に蜂起。

信長配下の松永久秀にかつて敗北した三好三人衆(三好長逸・政康、岩成友通)に加え、先月に姉川の戦いで敗北した浅井長政・朝倉義景と手を結び、反信長包囲網を作り上げました。

同年一〇月、浅井・朝倉が本願寺の指示どおり三万の軍を従え、比叡山に陣を敷きました。ここには天台宗総本山・延暦寺(滋賀県)があり、翌元亀二年(1571)一〇月に信長は延暦寺を焼き討ちにし、建物ほか寺宝や古文書類を失い、僧もほとんど殺され犠牲者は三〇〇〇人及んだといいます。

天正元年(1573)八月、信織田軍長は再び越前に侵攻し、朝倉軍を壊滅させて義景を自害させました。小谷城の浅井氏は完全に孤立し、同月織田軍に包囲され、猛攻をあびました。

5.世にも珍しい肴

同月長政は父久政とともに自害。お市の方と三人の娘は信長のもとに送り届けました。

長女茶々(淀殿)は豊臣秀吉豊臣秀吉の側室となり、秀吉死後は政権の実権を握りました。次女お初京極高次京極高次に嫁ぎ、三女のお江(ごう)は徳川秀忠徳川秀忠に嫁いで御台所となりました。

浅井父子が自害した翌年の元旦、岐阜城の信長は酒宴において、馬廻りの将らを前にして黒塗りの箱を取り出しました。

柴田勝家柴田勝家は「いかなる肴でございますか」と聞くと「世にも珍しい肴である」と信長は言って、中のものを取り出しました。一座の客は一瞬はっとしました。綺麗に金銀の箔で彩色してありますが、人間の頭蓋骨で、札がつけられていました[]。

一、朝倉左京大夫義景、一、浅井下野(しもつけ:久政)、一、浅井備前(長政)

補註

東欧の先達

" ビザンツ帝国にとって、ブルガリアは恐るべき強敵だった。この絵には、ブルガリア王クルムの臣下が、戦死したビザンツ皇帝ニケフォロス1世(在位:802~811年)の頭蓋骨でつくった酒杯を、王に差し出す場面が描かれている。" J.M.ロバーツ著、後藤明 監修『世界の歴史4』118頁(創元社、2003年)

浅井長政 相関図

浅井氏

家臣

同盟関係

その他

参考文献

  1. 奈良本辰也 監修『戦国武将ものしり事典』(主婦と生活社、2000年)「姉川の戦い」94-99頁
  2. 羽生道英「浅井長政」 『天下取り採点 戦国武将205人』(新人物往来社、1998年)160-161頁
  3. 小和田哲男 監修『ビジュアル 戦国1000人』(世界文化社、2009年)176頁
  4. 戦国覇王』戦国大名篇(デル・ブラド・ジャパン社、2002~2003年)

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