中世文書の特徴
売買証文において、戦国時代を含む中世文書は宛名を書きません。それは中世の村社会では宛名にこだわらず、その書面を「保持」していることに意味があるからです。
逆に近世文書(江戸時代の文書)では、こちらの古文書(寛政七:領収書)のように文末に記載されてある宛名の者が、権利を主張することができます。
なぜ近世に入ると宛名が登場するのでしょうか。それについてはまだ、専門家の間でも残念ながらわかっていません。しかし近世の村社会は、個人間でも土地の売買が頻繁に行われ、複雑になってきた経緯から宛名は必要不可欠になってきたのでは?と考えられます。
戦国時代を含めた中世文書に出てくる証人は、一人か二人。中世は近世よりも遥かに文字を書ける人が限られてます。よって証文を書いている人自体が、村における知識階層なるので証人もまた名主、僧侶といった、比較的身分の高い者になっています。
近世文書の特徴
文字が普及した近世は、証人の数が多いのが特徴。名主から身分の低い人たちまで、実に様々な者が証人になります。売買証文に限らず、年貢を納めた時や、養子縁組の際の証文なども、五以上の連判は珍しくもなんともありません。
これは近世(江戸時代)の村社会、つまり各村々が自立した強い共同体によって形成されていることを意味します。つまり、もめごとは村内の仲間で協力して解決する姿勢が、証人や連判の数として反映されているのです。
また逆に数はともかく一人でも「証人」がいることが、戦国時代と江戸時代の文書の共通点になります。中世前期の証文には、証人は出てこないそうです。
大きな共通点
近世(江戸時代)の文書は、こちらの質地証文(天保一一)のように、何かと埒明(らちあけ)文言が出てきます。問題が生じたら必ず解決します、ということを近世の証文(証拠の文書)では決まり文句として、文中に非常によく出てきます。ではこの決まり文句はいつ頃から登場したのかというと、戦国時代あたりから登場してくるようです。
則ち証人表記と埒明文言だけは戦国時代の流れを組んで、江戸時代の文書に反映されています。何かあった時に問題解決をするのが証人なので、証人表記と埒明文言は必然的にセットになります。
参考資料
- 渡辺尚志(編集)『村落の変容と地域社会 (新しい近世史)』(新人物往来社、1996)
- 秋山高志・ 前村松夫・北見俊夫・ 若尾俊平(編集)『図録 農民生活史事典』(柏書房、1991)