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系図

三好氏(阿波の戦国大名)長慶の先祖と没落

三好氏:みよし

釘抜紋
釘抜紋

阿波(徳島県)の戦国大名。清和源氏。

応仁の乱のあと、足利将軍の権威は完全に失墜、室町幕府の主導権は細川氏に移りました。三好氏は、室町時代に阿波守護・細川氏の被官となり、その家宰として成長。

幕府の権威は管領家細川氏からその家臣・三好長慶に移りました。長慶は、信長上洛以前に畿内(きない)・四国八か国の支配権を掌握。その背景には義賢(実休)・安宅冬康・十河一存の有能な弟たち、被官松永久秀がありました。

長慶の跡を継いだ甥の義継は、一族の三好三人衆(三好政康・長逸と岩成友通)と松永久秀の後見を受けるも両者が対立。信長に抗った義継と久秀は敗死、三人衆は阿波に逃れ没落しました。

系図

  1. 義長(よしなが):阿波守護・小笠原長清(ながきよ)一〇代の孫。南北朝時代に阿波三好郡芝生(しぼう:同郡三野町)に住して三好氏を称したことに始まると言う。
  2. 長之(ながゆき)
  3. 之長(これなが):阿波三好郡の国人。永正三年(1506)管領細川氏の相続争いで、細川澄元を擁立。翌年澄元が家督を継ぐと、その家宰として権力をふるう。翌五年大内義興(よしおき)、細川高国に敗北、処刑された。享年六三
  4. 長秀(ながひで):之長の子。長慶の祖父。
  • 政長:之長の弟・勝時の子。長秀のいとこ。茶人で大名物の茶入れ「付藻那須(つくもなす)」を所持。
  1. 元長(もとなが):永正六年(1526)澄元の子・細川晴元を補佐して挙兵。翌年、管領細川高国を京から追い、足利義維をたてて和泉(大阪府)堺に公方府をひらく。享禄四年、再起をはかった高国を滅ぼすも忠誠心を疑う晴元の策謀により、和泉堺で一向一揆に攻められ敗死。享年三二。
  • 廉長(やすなが):元長の弟。長慶の叔父。豊臣秀吉秀吉に近づき、その甥・豊臣秀次秀次を一時養子にした。
  • 政康(まさやす):三好三人衆の一。長秀の弟・頼澄の子、元長のいとこ。三好義継を後見。織田信長信長の畿内制圧で本拠の阿波に逃れる。一説に秀吉・豊臣秀頼秀頼に仕え、大坂落城で戦死(八八歳)。
  • 長逸(ながゆき):三好三人衆の一。長秀の弟・長規の子、元長と政康のいとこ。三好義継を後見。信長の畿内制圧で阿波に逃れ、しばしば反抗したが天正元年(1573)の敗走以降は不明。
  1. 長慶:元長長男。一一歳のときに父を死に追い詰めた細川晴元と和睦。天文一八年(1549)主家の晴元を追放し京都を制圧。天文二二年(1553)将軍足利義輝を追放。永禄六年(1563)長男義興の死で気力を失い、家臣の松永久秀に実権を奪われた。連歌に優れ、茶人としても著名。享年四八。以下三人の弟。
  • 義賢(よしたか):号は実休(じっきゅう)。元長次男。阿波の守護・細川持隆の重臣だが、持隆を暗殺し、その子細川真之(さねゆき)を立てて実権を握る。兄長慶の畿内平定に協力。畠山高正を攻め河内(かわち:大阪府)高屋城に入るも、畠山軍の反抗で戦死。享年三七。子は長治、存保(まさやす)。
  • 安宅冬康(あたぎ-ふゆやす):長慶の弟。和泉(いずみ:大阪府)岸和田城主。淡路にも城あり。和歌や書に巧み。松永久秀の謀略で、兄長慶に殺された。享年三七。子は信康。
  • 十河一存(そごう-かずまさ):元長四男。讃岐(香川県)十河城主・景磁(かげしげ)の養子。鬼十河と称される猛将。天文一八年(1549)兄長慶を助けて管領・細川晴元と摂津江口(大阪府)で戦い、晴元側の三好政長を敗死させた。落馬が原因で永禄四年(1561)三月死去。子は義継、養子に存保。
  1. 義継(よしつぐ):十河一存の子。伯父長慶の養子となり、家督を継ぐ。松永久秀と三好三人衆の後見を受けたが、両者対立で久秀と同盟。足利義昭足利義昭をかくまい、天正元年信長に攻められ、河内若江城で自害。享年二五。名ははじめ重存、義重。

参考文献

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