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系図

伊達氏(仙台、宇和島藩)系譜 政宗先祖や子孫

伊達氏:だてし

三引両紋
三引両

陸奥の戦国大名、近世の大名(外様)。藤原北家魚名(うおな)流といわれます。

大永二年(1522)これまで守護職(しゅごしき)が置かれていなかった陸奥の守護職に稙宗が補任、伊達氏の権勢は奥州探題大崎氏を凌ぎました。

その曾孫政宗は仙台藩、長男秀宗は伊予宇和島藩、秀宗五男宗純は同吉田藩の祖で何れも幕末に至りました。また仙台藩は幼少の四代藩主の時に伊達騒動がおこり、藩存亡の危機に陥りました。

中世:系図

  1. 伊達朝宗(ともむね):伊達氏の祖。藤原山蔭(やまかげ)の後裔(こうえい)。源頼朝の奥州攻めにしたがい、敵将の佐藤元治を捕らえる。その功により陸奥伊達郡(福島県)を与えられた。生没年不詳
  1. 稙宗(たねむね):一三代尚宗の子。政宗曽祖父。足利義稙の一字をうける。陸奥守護となった。家法「塵芥集」(じんかいしゅう)制定するなど、戦国大名・伊達氏の礎を築く。享年七七
  2. 晴宗:稙宗長男。弟実元の越後守護上杉家への入嗣に反対して父と争う。のち居城を伊達郡桑折(こおり)西山から米沢に移し、奥州探題となる。娘の子に成実がいる。享年五九
  3. 輝宗:晴宗次男。米沢城主。天正一二年(1584)四一歳で家督を長男政宗一八歳に譲って隠退。翌年二本松義継に捕らえられ、救出に向かった伊達勢の銃撃で、義継とともに壮烈な最期を遂げる。享年四二
  • 留守政景:晴宗三男。陸奥宮城郡の留守顕宗(かげむね)の継嗣(けいし)となって高森城主。甥・政宗に協力し、伊達軍の指揮を代行することあり。豊臣秀吉秀吉に領地を没収され、政宗の臣下。享年五九
  • 石川昭光:晴宗四男。陸奥石川郡(福島県)の領主石川晴光の養子。小田原への不参陣により秀吉に所領を剥奪され、政宗に仕える。陸奥角田(かくた/宮城県)を領し、伊達一門筆頭。享年七五

近世:系図

陸奥仙台藩

  1. 伊達政宗政宗:関ヶ原の戦い後、僅か二万加増され、居城を仙台に移転し、陸奥伊達藩主初代。六二万石。
  2. 忠宗:政宗次男。母は愛姫。藩の組織や制度の整備、総検地など体制を確立。享年六〇
  • 五郎八(いろは):忠宗の同母姉。徳川忠輝徳川家康家康六男)と結婚。夫が改易後、離別し仙台城本丸西館にうつり西館殿と呼ばれた。享年六八
  1. 綱宗(つなむね):忠宗は六男綱宗の剛気で酒好きを憂い、死の直前まで三代藩主に指名しようとしなかった。 綱宗の不行跡は江戸市民の話題にのぼり、重臣らにより在任二年で退隠させられた。享年七二
  2. 綱村(つなむら):綱宗長男。二歳で藩主となる。幕府が指名した伊達兵部(政宗一〇男)と田村宗良(忠宗三男)両後見役が藩政を専横。伊達騒動により、藩存亡の危機に陥るも安堵された。享年六一
  • 伊達安芸:伊達一門で、兵部の専横政治を江戸にて幕府に訴える。審問は安芸有利に進んだことにより、兵部側の原田甲斐に斬り付けられ落命。控えの間は敵味方関係なく斬り合いとなり、甲斐も落命した。

宇和島藩

  1. 秀宗:政宗長男。母は新造の方。六歳で秀吉の猶子(ゆうし)。父政宗と共に大坂冬の陣に出陣。功により徳川秀忠徳川秀忠から伊予(愛媛県)宇和島藩初代、一〇万石。妻は井伊直政井伊直政の娘。享年六八
  1. 宗城(むねなり):安政の大獄で隠居。島津久光山内容堂らと公武合体に尽力。享年七七

吉田藩

  1. 宗純:宇和島藩祖・秀宗の五男。父から三万石分与され、伊予吉田藩初代。享年七三。当家も幕末まで至る。

参考文献

  • 小和田哲男「伊達氏」左同(監修)左同・菅原正子・仁藤敦史(編集委員)『日本史諸家系図人名辞典』(講談社、2003年)399-402頁
  • 小和田哲男 監修『ビジュアル 戦国1000人』(世界文化社、2009年)
  • 渡辺信夫「7章1 伊達騒動」『宮城県の歴史(県史4)』(山川出版社、1999年)133(戦国期宮城の勢力分布図)、141-152頁

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