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戦国武将解説

尼子経久(あまご-つねひさ)

プロフィール

尼子経久
Tsuhisa Amago

島根県の戦国大名。一代で山陰、山陽を制圧し、巨大な尼子帝国を築き上げた。

配下の毛利元就が尼子氏から大内氏に帰属し、経久の三男は謀叛を起したが依然尼子帝国は巨大のまま。

しかし孫の晴久が元就に大敗北。経久がその年に死去すると、尼子氏は急速に衰退し滅亡した。

享年84(生1458-没1541)。毛利元就より39歳年上、北条早雲より26歳年下。

詳細

1.月山富田城から追放される

尼子経久は、下剋上を成し遂げた武将の一人であり、毛利元就毛利元就のライバルです。

経久は21歳の時、出雲国で尼子家の土台を固めた父のあとを継ぎました。27歳の時、寺社の税を納めず勝手な振る舞いがあった為、室町幕府の命により、居城の月山富田城(がっさんとだじょう)から経久は追放されました。

しかし2年後に城を奪回し、出雲・隠岐・飛騨・近江の守護だった京極政経(まさつね)が死去すると、経久が事実上、出雲の守護となりました。

2.一代で山陰、山陽を制圧

その後、領土を拡大し、山陽の大内氏とも戦い、その過程で長子・政久が戦地で死去しましたが、最盛期には現在の鳥取・島根から岡山・広島なんと兵庫あたりまで制圧したと言われています。

しかし配下の毛利元就が大内氏に帰属、三男・興久の謀叛。それでも尼子氏の勢力は依然として巨大でした。

3.孫が毛利元就に大敗北する

尼子氏は行政組織的に強固だったわけでなく、経久の人々の心を引きつける強い魅力で束ねられていました。

経久は80歳の時に隠居して孫の晴久を後見。その後、晴久が経久の反対を押し切って毛利元就を攻めて大敗北してしましました。

その年の11月、月山富田城で経久は84歳の生涯を閉じ、経久死後、尼子氏は急速に衰えて滅んでしまうのでした。

尼子経久相関図

ライバル

毛利元就毛利元就陶晴賢

京極氏

出雲・隠岐・飛騨・近江の守護だった京極政経(まさつね)は、お初(常高院)お初の旦那の京極高次京極高次のひいおじいちゃんの弟に当たります。

  

尼子経久関連リンク

尼子経久イラスト

参考文献

国史大辞典編集委員会 『国史大辞典 第1巻 あーい 』(吉川弘文館、1979年)

小和田 哲男(著, 監修) 『ビジュアル 戦国1000人 ―応仁の乱から大坂城炎上まで乱世のドラマを読む 』(世界文化社、2009年)

新人物往来社 (編集) 『天下取り採点 戦国武将205人 』(新人物往来社、1998年)