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戦国お姫様解説

淀殿(茶々)/よどどの(ちゃちゃ)

プロフィール

淀殿(茶々)
Yododono

滋賀県出身。豊臣秀吉の側室。

浅井長政織田信長の妹・お市の方の長女として生まれる。

お市の方が柴田勝家と結婚、勝家が秀吉とのいくさに倒れると、秀吉の側室となり、秀頼を出産、豊臣政権の実権を握った。

徳川家康が関ヶ原の戦いで勝利しても、ひれ伏さず、大坂の陣で家康と全面対決する。

享年49?(生1567?-没1615)。家康より24つ、秀吉より30つ年下くらい。 同い年くらいに真田幸村伊達政宗塙団右衛門

詳細

淀殿(茶々)素材淀殿は豊臣政権の栄華と凋落を体現したお姫様です。

淀殿は、浅井長政浅井長政織田信長織田信長の妹、お市の方お市さまの長女として、生まれました。よって、身分に申し分なく、小さい頃は「茶々」と呼ばれていました。お父さんの浅井長政が、織田信長とのいくさに敗れ、お母さんのお市さまは、信長の家臣・柴田勝家と再婚。しかし今度は柴田勝家が豊臣秀吉豊臣秀吉のいくさに敗れ、お市さまは勝家と共に自害。

両親を亡くした茶々は、秀吉の側室として、人生を歩み始めました。秀吉の正室・北政所北政所(きたのまんどころ)に、子供はできず、また秀吉の多くの側室にも子供はできませんでした。

しかし、淀殿(茶々)だけが、秀吉の子を産みました。最初に産んだ子はすぐに死んでしまいましたが、淀殿は次にのちの豊臣秀頼豊臣秀頼を見事、出産。その為、淀殿は豊臣家の実権を握るようになりました。秀吉は淀殿の為に淀城という城まで作り、淀殿は秀吉のご寵愛を一身に受けていました。

しかし秀吉が死ぬと、徳川家康徳川家康が天下を狙います。豊臣VS徳川の関ヶ原の戦いで、豊臣軍敗北により、豊臣家は弱体化していきました。

家康は豊臣家の大坂城に最後のとどめをさそうと、いくさをしかけてきます。大坂冬の陣、夏の陣のはじまりでした。豊臣軍・総大将は勿論、秀吉と淀殿の子、豊臣秀頼。豊臣方の真田幸村真田幸村らは徳川の大軍に奮戦しましたが、衆寡敵せず、淀殿と秀頼は自害、大坂城の栄華はここに幕を下ろしました。

淀殿のお母さんである、お市さまは、秀吉に殺されたようなもので、その秀吉の側室となった淀殿は、悲劇のお姫様としておさまるのではなく、豊臣家で権力を手にしてゆきました。その姿は、彼女の女としての強さを強く感じます。

淀殿相関図

浅井三姉妹

淀殿(茶々)素材淀殿(長女)/お初(常高院)素材お初(次女)/お江(小督、江与)素材お江(三女)

父と親戚

お父さん:浅井長政浅井長政/お母さん:お市の方お市の方

二番目のお父さん:柴田勝家柴田勝家/伯父さん:織田信長織田信長

いとこ:織田信忠織田信忠織田信雄織田信雄織田信孝

家族

旦那:豊臣秀吉豊臣秀吉/旦那(秀吉)の正室:北政所北政所/淀殿の子:豊臣秀頼豊臣秀頼  

ライバル

徳川家康徳川家康本多正信金地院崇伝  

味方

石田三成石田三成真田幸村真田幸村

  

淀殿関連リンク

淀殿(茶々)肖像画フリー素材

淀殿(茶々)イラスト

淀殿と北政所イラスト