戦国サプリメント

戦国未満

  1. HOME
  2. 戦国武将一覧

戦国武将解説

豊臣秀長(とよとみ-ひでなが)

プロフィール

豊臣秀長
Hidenaga Toyotomi

秀吉の4つ下の異父弟。通称・小一郎(こいちろう)。

人望が高く、秀吉バリのいくさ上手。

その実力と才覚で家臣団を統括し、兄を天下人に導いたが、天下平定の半年後に死去。

朝鮮の役には反対で秀長死後から、朝鮮の役が現実化していく。

享年52(生1540-没1591)

詳細

1.影の太閤

豊臣秀長豊臣秀長は、通称・小一郎(こいちろう)と言い、豊臣秀吉豊臣秀吉の4つ下の異父弟です。秀吉をよく補佐し、初期秀吉の側近中の側近であった為、影の太閤とも呼ばれていました。

とはいうものの、若い頃の秀長は織田信長織田信長の家臣として、秀吉とは別に軍事行動をとっていて、秀吉の中国攻め以降、秀吉の配下に入りました。

2.兄じゃを天下人へ―

秀長は52才で生涯を閉じるのですが、信長が明智光秀によって本能寺で討たれたのが秀長42才の時。以降、死ぬまでの10年、兄・秀吉の天下取りに全力を注ぎました。

山崎での明智光秀との戦い、賤ヶ岳での柴田勝家柴田勝家との戦い、小牧・長久手での徳川家康徳川家康との戦い、いずれのいくさも秀長は活躍。

続く四国征伐として長宗我部元親長宗我部元親との戦い、九州征伐としての島津家(島津義弘島津義弘)との戦いでも秀長は指揮官として奮闘し、見事に天下平定。

秀長は大納言に叙任され、兄・秀吉は太政大臣となり、豊臣の姓を賜ることとなりました。

3.天下平定の半年後に死去

しかし天下平定した半年後、病の為、秀長はこの世を去りました。まさに、これから豊臣政権が始まるという時でした。

秀長は私欲がなく、いくさにあっては秀吉の名を立て、危険をかえりみず、温厚な性格で経済感覚も優れていました。そんな秀長の忠告を秀吉は素直に聴き、信頼を寄せてました。

朝鮮の役には反対で、秀長が歯止め役となっていました。よって彼の死後、朝鮮の役が現実化していくのでした。享年52

4.秀長の死後に大金が出てくる!

さて、秀長が死んだ時、5万6000枚の金子(現在で42億くらいでしょうか)が四坪の部屋にたくさんの銀子が遺されていたそうです。これもやはり兄の為だったとか、もしくは古い係争の処理に使うものとも言われています。

豊臣秀長相関図

兄、そして主君

豊臣秀吉豊臣秀吉

同僚且つ味方

千利休素材千利休

重臣

藤堂高虎藤堂高虎

甥(秀吉・秀次の姉の子)

豊臣秀次豊臣秀次 

初期秀吉の参謀仲間

黒田官兵衛黒田官兵衛竹中半兵衛竹中半兵衛 

ライバル(四国、九州征伐とも秀長が指揮官)

四国征伐:長宗我部元親長宗我部元親/九州征伐:島津義弘島津義弘

  

豊臣秀長関連リンク

肖像画フリー素材

豊臣秀長イラスト

参考文献

国史大辞典編集委員会 編集『国史大辞典〈10〉』(吉川弘文館1989年)

歴史雑学研究会 編さん『番外編 歴史雑学BOOKシリース゛ 図解!名将を支えた軍師たち (ローレンスムック) 』(綜合図書 、2007)