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文禄・慶長の役

東海・北陸地方 諸大名配置図

地図

文禄年間(1592~95年)

文禄年間の東海・北陸の諸大名配置_地図

解説

文禄・慶長の役では主に九州の大名を中心とした西国の大名が動員されました。よって、東海・北陸地方の諸大名が渡海したとしても後方部隊となります。

秀次軍団

さて、このころ東海地方を治めていいたのは、豊臣秀吉豊臣秀吉の養子・豊臣秀次秀次。尾張と北伊勢五郡は、改易された織田信忠織田信雄(のぶかつ)の旧領で天正一八年(1590)に秀次が譲り受けました。

これに伴い、秀次宿老の山内一豊山内一豊堀尾吉晴 ・中村一氏・田中吉政たちは、三河・遠江・駿河で知行を得ました。翌年秀次は秀吉から関白職を譲られ、聚楽第に入りました。

翌文禄元年(1592)四月に日本軍朝鮮に侵攻すると、秀次は国内にあって継舟・次飛脚の制度を定め、兵糧米の確保や独自の軍事編成によって京畿の警護にあたり、秀次と宿老たちは朝鮮へ渡海することはありませんでした。

然しながら、同四年四月に豊臣秀長豊臣秀長の養子・秀保が謎の死を遂げ(享年17)、後を追うように同年七月に秀次は謀反の疑いをかけられ切腹させられました(享年28)。

翌慶長元年(1596)閏七月には畿内大地震が起こり、これは当時の人は秀次の祟りだと言い、翌年二月に秀吉は朝鮮再出兵の陣立てを定めました。

  

文禄・慶長の役

日本国

文禄年間 全国の諸大名配置図九州中国・四国近畿/東海・北陸/東日本

慶長前期 全国の諸大名配置図村上水軍とは 前編後編

相関図

朝鮮・明連合軍文禄の役 日本軍慶長の役 日本軍

概要

文禄・慶長の役とは

地図

東アジア各国関係図朝鮮八道色分け地図文禄の役 日本軍進路

慶長の役 日本軍進路図倭城とは 分布図と一覧合戦地図

年表

文禄の役 略年表慶長の役 略年表

朝鮮国

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明国

明の官位相当表

戦後

日朝国交回復年表

朝鮮国 人物

王室:宣祖光海君/朝廷:柳成龍金誠一/陸軍:権慄金時敏沙也可

水軍:李舜臣李舜臣元均/義兵将:郭再祐/学者:姜沆

明国 人物

万暦帝沈惟敬李如松楊鎬陳璘

参考文献

児玉 幸多 (編集)『日本史年表・地図(2016年版) 』(吉川弘文館、2016年)

笠谷 和比古, 黒田 慶一 『秀吉の野望と誤算―文禄・慶長の役と関ケ原合戦 』(文英堂、2000年)