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戦国武将解説

宣祖(ソンジョ/せんそ)

プロフィール

宣祖
선조
Seonjo

李氏朝鮮王朝 第14代国王。

学問を重視する善政を行っていたが、朝廷内の派閥争いが激化し国政は次第に腐敗。

北方から女真が侵入しこれを制圧したが、南方から豊臣秀吉の命令で日本軍が釜山から破竹の勢いで北上。

都・漢城(ソウル)が制圧される前に柳成龍など少数の供と平壌へ避難。しかし平壌も危なくなり、一行は更に北上し明の国境・義州(イジュ)に入った。

李舜臣率いる朝鮮水軍、郭再祐など義兵、更に李如松明の来援により退勢を挽回し、ソウル脱出から一年半後に帰京。

日本軍再び朝鮮に侵攻した際は、経略・楊鎬の指示で明軍が稷山(チクサン)でソウル再侵入を食い止め、李舜臣は再び日本水軍を撃破した。

戦後国土は焼け野原となり、莫大な人命を損失。日本との国交はこのまま断絶か――?!

享年57(生1552-没1608)。豊臣秀吉より16歳年下、李舜臣より7歳年下、郭再祐と同い年。

詳細

1.初期の善政

伯父の第一三代明宗(めいそう)には跡継ぎがなく、遺言により第一四代国王に即位。

宣祖は、李退渓(りたいけい・朝鮮王朝を代表する朱子学者)、李栗谷(りりっこく・学者,政治家)などの人材を登用し、学問を重視する政策をとり、無実の罪で罰せられた者を放免しました。

また、『儒先録』『三網行実』など多くの書物を刊行して儒家の発展に寄与。

しかしそののち、朝廷では東人(トンイン)と西人(ソイン)と派閥が分かれ、更に東人は穏健派の南人(ナミン)柳成龍金誠一らと強硬派の北人(プキン)李潑・李山海らに分かれて、次代の王位継承を巡って激しく争いました。

国政は次第に腐敗し、北方から女真が侵入。王は直ちに兵を発してこれを奪回しました。

2.ザ・グレートエスケープ

朝鮮全土_文禄の役
図1:文禄の役 朝鮮全土関係図
国王避難路と日本軍進路

しかし今度は南方から、 豊臣秀吉豊臣秀吉の命により日本の諸将朝鮮へ侵攻

第一軍の小西行長小西行長宗義智宗義智らが文禄元年(1592)四月十三日、釜山(プサン)に上陸すると破竹の勢いで北上。

東萊(トンネ)、尚州(サンジュ)、忠州(チュンジュ)を攻め落とし、二十日余りで都・漢城(ソウル)を制圧しました。

それに先立って四一歳の宣祖は、大雨の中を都・漢城(ソウル)を捨て、平壌へ避難。従う者は柳成龍などの臣下、王妃、女官など一〇〇人以下。李氏朝鮮王朝建国以来二〇〇年、存立の危機に陥りました。

しかし李朝のそれまでの平和は、庶民や奴婢を厳しく抑圧することで成り立っており、国王不在の漢城の宮殿に火を放ったのは日本軍ではなく、李朝に抑圧されてきたソウルの下層民でした。

小西行長らの北上は続き、ソウルから平壌近くまで至ると、宣祖は平壌を脱出。小西行長ら日本軍は平壌城に入り、国王は明の国境・義州(イジュ)に入りました(図1参照)。

3.明・朝鮮軍が本領発揮

慶長の役日本軍進路と主な戦い
図2:慶長の役 日本軍進路図主な戦い

然しながら李舜臣李舜臣率いる朝鮮水軍の連勝、郭再祐など義兵の活躍、更に明将の李如松らの来援などで退勢を挽回。

翌文禄二年(1593)十月、国王は漢城(ソウル)へ帰京することができました。

一次停戦を経て、慶長二年(1597)日本軍再び朝鮮に侵攻。明の経略・楊鎬と提督・麻貴は、再び漢城(ソウル)制圧を企む日本軍の北上を稷山(チクサン)で食い止めました。

李舜臣は鳴梁(ミョンリャン)で藤堂高虎藤堂高虎・加藤嘉明・脇坂安治脇坂安治来島通総来島通総らの水軍を撃破。

秀吉が死去すると、日本軍帰国の追撃のため李舜臣は、明将・陳璘と共に露梁(ノリャン)で島津義弘島津義弘立花宗茂立花宗茂宗義智宗義智らの水軍も撃破。露梁海戦-日本軍との最後の戦いは、明・朝鮮連合軍の大勝利で幕を閉じました。

4.戦後

この七年に渡る戦乱の結果、莫大な人命を損失し、国土は荒廃。徳川家康徳川家康が江戸幕府を開くと朝鮮との外交を積極的に推進。

約五千人の捕虜が送還され、対馬藩の宗義智と景轍玄蘇らの努力もあって、江戸期第一回・朝鮮通信使五〇四名が来日。江戸城で家康と徳川秀忠徳川秀忠と会見。日朝の国交は回復して、江戸時代二百余の間、一二回に渡り通信使一行が来日しました。江戸時代詳しくは日朝国交回復年表をご参照ください。

宣祖お得意の本づくりも再開され、歴代実録をはじめ貴重な文献の再版が大規模に行われました。

子は14男11女。宣祖死後は第二子の光海君が第一五代国王となりました。享年五七。

宣祖 相関図

宿敵

豊臣秀吉豊臣秀吉

朝鮮国

王室:宣祖・光海君/朝廷:柳成龍金誠一

陸軍:権慄金時敏沙也可

水軍:李舜臣李舜臣元均

義兵将:郭再祐/学者:姜沆

明国

万暦帝李如松沈惟敬楊鎬陳璘劉綖

  

宣祖リンク

イラスト

文禄・慶長の役

相関図

朝鮮・明連合軍文禄の役 日本軍慶長の役 日本軍

概要

文禄・慶長の役とは

地図

東アジア各国関係図朝鮮八道色分け地図文禄の役 日本軍進路

慶長の役 日本軍進路図倭城とは 分布図と一覧合戦地図

年表

文禄の役 略年表慶長の役 略年表

朝鮮国

朝鮮の官制その1 京官その2 外官-陸軍・水軍、地方行政朝鮮王朝の党争

明国

明の官位相当表

詳細事項

村上水軍とは 前編後編日朝国交回復年表

参考文献

伊藤亜人, 武田幸男, 高崎宗司, 大村益夫, 吉田光男『新版 韓国 朝鮮を知る事典 』(平凡社、2014年)

木村 誠, 吉田 光男,馬淵貞利,趙景達-編集 『朝鮮人物事典 』(大和書房、1995年)

中村栄孝 他『アジア歴史事典〈第5巻〉シラーソ (1960年) 』(平凡社、1985年)

北島万次『豊臣秀吉の朝鮮侵略 (日本歴史叢書) 』(吉川弘文館、1995年)

上垣外 憲一『空虚なる出兵―秀吉の文禄・慶長の役 (Fukutake Books) 』(福武書店、1989年)