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戦国武将解説

細川藤孝(ほそかわ-ふじたか)

プロフィール

細川藤孝(幽斎)
Fujitaka Hosokawa

明智光秀の元友人。京都府・田辺城主。

将軍・足利義昭の臣下だったが、信長の臣下となる。

本能寺の変の際は光秀に誘われたが、これを拒否。秀吉配下となった。

関ヶ原の戦いでは東軍につき、田辺城に籠城したが西軍に囲まれてしまう。

古今集秘事の伝統を受け継ぐ藤孝のピンチに憂慮した八丈宮智仁親王が、開城せよ!と西軍に勅命を下した。享年77(生1534-没1610)

詳細

1.芸達者過ぎて申し訳ない!

細川藤孝(幽斎)藤孝(幽斎)は戦国きっての文化人で、若くして歌道を志し、三条西実枝より古今和歌集の秘伝を受け、九条稙通より源氏物語の奥義を授けられました。

また茶道・音曲・刀剣鑑定・有職故実などあらゆるジャンルの学術・芸能のを極めました。

何故藤孝がそんなに芸達者なのか。藤孝のお父さんは足利将軍家の幕臣である三淵晴員、お母さんは学者の清原宣賢の娘なので遺伝的・環境的側面が大きいかと思います。

しかし60過ぎでも和歌集や風土記を書き写す勉強家であり、武将としての職分もキッチリこなしました。カンペキ過ぎて人間味がない?いやいや実は人間味もあるのです。

2.一三代将軍・義輝が殺される

天文七年、藤孝は第12第将軍・足利義晴に謁見、翌年、義晴の命により細川元常の養子となりました。

藤孝の幼名は万吉ですが、天文十五年13歳で元服すると、13代将軍・足利義藤(のちの義輝)から名前をもらって藤孝と名乗り、与一郎と称しました。

以後、側近として義輝に仕えますが、松永久秀らに義輝が京都で暗殺されると、藤孝は米田監物らとともに奈良の興福寺に監禁されていた義輝の弟・足利義昭足利義昭を救出。諸国を流浪することになりました。

3.一五代将軍・義昭と明智光秀とはバイバイ

そののち明智光秀明智光秀と共謀して義昭の上洛を計画し、織田信長織田信長の援助を得て、上洛に成功。義昭は15代将軍の座につきました。

しかし義昭と信長の関係がこじれて、義昭が信長によって京都から追放されると、藤孝は義昭を見限って、信長の家臣になりました。

これでほっと一息かと思いきや、今度はなんと友であり縁戚でもある光秀が本能寺で信長を討ちました。

本能寺の変に際し、藤孝は光秀に味方になってほしいと誘われましたが拒否。剃髪して幽斎と名乗りました。(以下藤孝を幽斎と記述する)

4.朝鮮の役は反対の立場

豊臣秀吉豊臣秀吉の臣下として幽斎は九州征伐、小田原征伐に従軍しました。そして秀吉が日本を統一すると、今度は朝鮮の役が始まることになります。武功夜話によれば前野長康との会話で幽斎は、

「今度の争場はそもそも大義もなく、仁愛もない軍事(いくさごと)。国を離れること数千里、たとえ勝利を得ても延々と見渡す限り皆敵である。」

と藤孝は反対の立場にいました。次に幽斎はこう言いました。

「関東、北越の三百有余万石を在国せしめ、九州、四国、中国の諸将を始め、御一門衆、譜代衆の無駄遣いは豊家凋落の禍(わざわい)ともなりかね、難しい合戦になるのではないか。」

今回の戦没で負担が重く、消耗するのは西国大名、豊臣家譜代の諸将。関東、北越すなわち、一兵も兵を出さない徳川家康徳川家康前田利家前田利家は損害をこうむる心配がない。

「しからば後日その勢強大になるものは何者か。」

幽斎にはこの戦争の結果と日本国内に及ぼす影響が、ほぼ見えていました[註2]。一番得するのはつまり家康であることまで――

しかしながら幽斎のような先の見える人が多々ありながら、大勢は秀吉の望む征服戦争へと流れ込んでいきました。そして幽斎自身も名護屋に在陣することとなりました。

5.勅命が下る!田辺城の戦い@関ヶ原

秀吉が死去し、朝鮮の役が終わると関ヶ原の戦いが始まりました。東軍に属した幽斎は田辺城に籠城。一万五千の西軍を六十日にも渡って引きつける大功を立てました。

この際、西軍に包囲され幽斎の討死を心配した八丈宮智仁親王が、使者を遣わして開城を勧告しました。

更に後陽成天皇も古今集秘事の伝統の絶えることを惜しみ、勅命をもって開城の叡旨(えいし・天子のお考え)をするよう伝えさせました[註2]。

芸は身を助けるとはこのことですね。そうそう、幽斎は武芸にも秀でていて、剣法は塚原卜伝に学び、弓馬故実を武田信豊から相伝され…ってもういい?(笑)享年77。

細川藤孝相関図

家族

息子:細川忠興素材細川忠興

主君

足利将軍13代・義輝→足利義昭15代・義昭織田信長織田信長豊臣秀吉豊臣秀吉

最終的に徳川家康徳川家康 

ライバル

松永久秀

元友人

明智光秀明智光秀

茶の湯仲間

茶の湯は、千利休素材千利休の師である武野紹鴎(たけの‐じょうおう)に学び、利休・津田宗及らと親交がありましたが、生活教養の域にとどまりました[註3]。

  

細川藤孝関連リンク

九曜紋素材肖像素材

藤孝イラスト

織田信長家臣団相関図

細川忠興肖像画素材軍旗素材

補註

註1:上垣外 憲一『空虚なる出兵―秀吉の文禄・慶長の役 (Fukutake Books) 』(福武書店、1989年)

註2:国史大辞典編集委員会 (著)『国史大辞典 (12) 』(吉川弘文館、1979年)

註3:久田 宗也 編『茶の湯用語集 (茶の湯案内シリーズ 12) 』(主婦の友社、1986年)